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2000年に芸能界を引退した元タレントの上岡龍太郎さんが2023年5月19日に亡くなられました。
上岡龍太郎さんの甥っ子である人気漫才コンビ・ミキとの関係はどのようなものだったのでしょうか?
また上岡龍太郎さんの妻や息子など家族についても見ていきます。
今回は上岡龍太郎さんの家族について調査します。
それでは早速見ていきましょう。
上岡龍太郎が逝去
「政治てなもんは、弱い者の為にあんねや。強い者なんて放っといてもええねん。自分で何とかしよるがな。強いねから」
— Yosiaki-Miyazaki (@ysakmyzk) June 2, 2023
「芸人の言う事を信用したらアカン」
上岡龍太郎 享年81歳 黙祷
かろうじてテレビが信頼できた最後の時代の芸人 pic.twitter.com/AQlcsgZrpf
大阪を代表する講談師、劇団主宰など、幅広い分野で活躍し、大阪文化の発展に大きな貢献をした上岡龍太郎さんが、今年5月19日に81歳で亡くなったことが明らかになりました。
上岡龍太郎さんの強い希望により、限られた身内だけが参列した密葬が行われ、お別れの会などは希望しないとのこと。
上岡龍太郎さんは僅か19歳で講談師としてデビューし、40年間にわたって芸能界で活躍しました。
しかし、上岡龍太郎さんは「芸能生活40周年で隠居する」と公言し、2000年には本当に引退されたんですね。
上岡龍太郎さんは引退以降は公の場に姿を現すことはほとんどなく、メディアに出演することもありませんでした。
まだまだ人気も腕も衰えていない時期に引退し、その後も表に出ることなくスパッと芸能界を去って行ったのは流石ですよね。
上岡龍太郎さんの息子の小林聖太郎さんがコメントを出されています。
お世話になった方々にも突然のお知らせとなってしまったことを深くお詫びいたします。
昨年秋頃、積極的治療の術がなく本人も延命を求めていない、と知らされた時に少しは覚悟しておりましたが、あれよあれよという急展開で母も私もまだ気持が追いついていない状態です。
とにかく矛盾の塊のような人でした。父と子なんてそんなものかもしれませんが、本心を窺い知ることは死ぬまでついに叶わなかったような気もします。
弱みを見せず格好つけて口先三寸……。運と縁に恵まれて勝ち逃げできた幸せな人生だったと思います。
縁を授けてくださった皆様方に深く感謝いたします。
小林聖太郎
引用:https://news.yahoo.co.jp/articles/ca435d92a7028271bdc83ce3f097b91e4e472829
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上岡龍太郎と甥っ子ミキとの関係は?
今夜26時(深夜2時)からは#ミキ の #深夜でんぱ です!
— ミキの深夜でんぱ! (@miki_joqr) June 2, 2023
今回は、兄弟喧嘩を放送します。
収録中なのに言い争いが始まりました。
言ってはいけない事も言ってます。
マネージャーさん、
スタッフも巻き込まれました。
ラジオで兄弟喧嘩です。#文化放送
でも2人は仲良しです❤️ pic.twitter.com/VLc9R8sCn8
お笑い芸人ミキの二人が上岡龍太郎さんの甥っ子であることは知られていますよね。
上岡龍太郎さんとミキの昴生・亜生の母親は異母兄弟であり、ミキの母親は上岡龍太郎さんの妹に当たります。
上岡龍太郎さんの母親の小林タマさんが、上岡さんが小学校4年生のときに乳癌で亡くなって以後、父親が再婚し、その再婚相手との間にできた子供がミキの母親でした。
ミキの二人から見ると上岡龍太郎さんは伯父であり、上岡龍太郎さんから見るとミキは甥っ子ということになります。
ミキは自分たちの実力で売れたいという思いから、上岡龍太郎さんと親戚であることを隠していたんだとか。
上岡龍太郎さんとミキの二人の親戚関係については、ミキの二人が、鶴瓶さんMCのTBS「A-Studio」に出演した際に語られています。
「小さい時に2回くらい会った。芸人になってからは一度も…」
と話されていました。
上岡龍太郎さんとミキの二人とはあまり親しくなかったようですね。
ミキ二人の母親も兄の上岡龍太郎さんと疎遠になってしまっていたようです。
ところが、気を利かせた鶴瓶さんが、ミキの二人の母親に上岡さんの連絡先を教えてあげたんだとか。
そして、上岡龍太郎さんはミキの漫才に対して、
「漫才の型としては安定している」
と、上岡龍太郎さんは短いながらも芸人としてもしっかり評価していることを明かしました。
この言葉を聞いたミキの二人は大喜びしていたそうです。
そして、エンディングでは鶴瓶さんが、上岡龍太郎さんの言葉を涙ながらに語りました。
「1年ぐらい電話してなかった」という鶴瓶は、電話を振り返り「『ミキをよろしゅう頼むわな』って言うたんですよ。あんなの言ってたことないですよ」と話し、上岡さんのミキを思う気持ちに涙ぐんだ。
引用:https://hochi.news/articles/20200125-OHT1T50066.html?page=1
上岡龍太郎さんが同じ世界で活躍する甥っ子を、陰ながら応援していたことが分かりますよね。
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上岡龍太郎の家族|妻は事務所社長で息子は映画監督!
芸は一流
— ken (@ken29716939) June 2, 2023
人気は二流
ギャラは三流
恵まれない天才
上岡龍太郎です
上岡龍太郎 pic.twitter.com/DbBX1C421Y
上岡龍太郎さんの家族構成は
- 上岡龍太郎
- 妻
- 息子
の3人家族です。
上岡龍太郎の妻
上岡龍太郎さんの妻の名前は友岐子さん。
上岡龍太郎さんは1969年に友岐子さんと結婚されました。
友岐子さんが上岡龍太郎さんのファンだったことがきっかけで出会ったそうです。
上岡龍太郎さんと友岐子さんが初めて出会った時の年齢は、上岡龍太郎さんが21歳、友岐子さんが13歳で、友岐子さんは中学1~2年生の頃。
上岡龍太郎さんの方から友岐子さんを好きになったそうで、上岡龍太郎さんは友岐子さんを何度も口説き続けたんだとか。
今の時代だとちょっと年齢的にも行動的にも問題になるかもしれませんが、結局は上岡龍太郎さんは生涯の伴侶を得たのですから勘が良かったのでしょうね。
また友岐子さんは専業主婦でしたが、テレビ番組にも出演していた時期があったんです。
上岡龍太郎さんが多忙だった1979年に、友岐子さんは関西ローカルの番組『奥様リビング』に出演していました。
また、人気番組『パンチDEデート』の高齢者版にあたる公開お見合い番組『二人でお茶を』では、桑原征平アナウンサーと共に司会を務めたことも。
番組のコーナーは1979年に終了し、その後、友岐子さんは上岡プロモーションの社長として夫の上岡龍太郎さんを支え、専業主婦の役割もこなしていたそうですよ。
上岡龍太郎さんが引退した後は、夫婦で仲良く舞台や旅行に行くなどして過ごされたそうです。
上岡龍太郎の息子
小林聖太郎も白髪になったらほぼ上岡龍太郎ではないだろうか pic.twitter.com/zpsEsHZI2U
— ピーキー・オヤナギ (@kenthekiller) July 22, 2018
上岡龍太郎さんの息子は映画監督の小林聖太郎さんです。
- 生年月日:1971年3月3日
- 年齢:52歳(2023年6月現在)
- 職業:映画監督
小林聖太郎さんは、関西大学法学部政治学科を卒業しています。
その後、有名なジャーナリストである今井一さんの助手となり、『阪神大震災の被災者にラジオ放送は何ができたか』や『大事なことは国民投票で決めよう』といった記事の取材や執筆をするなど、活躍されました。
そして小林聖太郎さんは、1996年には今井一さんの知人である原一男さんが主宰する『CINEMA塾』の第一期生として参加し、映像の世界に足を踏み入れることに。
その後、1998年から小林聖太郎さんは多数の映画監督の助監督として幅広く活躍し、着実に経歴を積み上げていきます。
また、小林聖太郎さんが監督を務めた小泉今日子さん・永瀬正敏さん主演の『毎日かあさん』は、第14回上海国際映画祭アジア新人賞部門で作品賞を受賞するなど、高い評価を得ました。
一方、上岡龍太郎さんは非常に子育てに熱心だったそうで、小林聖太郎さんが生まれてからは、上岡龍太郎さん自身が育児日記をつけるなど、一生懸命子育てに取り組んでいたそうです。
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最後に
上岡龍太郎さんは関西の大御所芸人であり、今後もう出てくることは無いであろう不世出の芸能人です。
ある意味、昭和の芸人とも言えるかもしれませんね。
上岡龍太郎さんのご冥福をお祈りいたします。

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